西部会議

西部会議

アメリカ合衆国西部在住のサイエントロジストが地元での会議開催を強く求めたことを受けて、L. ロン ハバードはアリゾナ州フェニックスで「西部会議」を開催しました。この会議を特に際立たせていたのは、最新の大躍進に関するデータを伝える彼のやり方でした。それは「サイエントロジー・ジャーナル」で次のように報告されています。「技術上のデータの発表はごく最小限に留められ、L. ロン ハバードは、グループに対するプロセスという形で、重要なテクニックと手順の大部分を発表したのです。」このようにして、彼は会議参加者たちが自分の地元で人々にグループ・プロセスを与えるための模範を示したのです。その重点は「規範的な機能の手順8-C(SOP 8-C)」と『自己分析』のリストに置かれていました。ハバード氏はまた、新しい「オーディオ・メーター」(後の「ビープ・メーター」)も紹介しました。当時最先端のメーターで、人間の痛みのス ポットを記録できる検知器が あることが特長でしたが、それだけではなく、このメーターは、ビーイングが意のままに別の ビーイングの中でエネルギーの流れを生み出せるということを実演する手段となったのです。まとめると、これは技術的なデータを満載した会議であり、これらの画期的躍進を幅広く一般の人たちに伝えていく、トレーニングされたサイエントロジストの勢力を拡張させることによって、新しいフィールド・グループを続々と誕生させることとなったのです。

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詳しい情報 西部会議

人類は遂に本街道に乗ったということです。なぜなら、人類の悪はすべて、人に自由を与えまいとする人類の努力から来ているからです。文化の欠如は、奴隷制が最も深く根付いているところで最も顕著に見られます。

一方、人々が自由なところでは、人々はたくさんのことができます。仕事自体が楽しみになります。努力を扱うこと自体が、非常に望ましい活動になります。物事が着々と築かれていき、世界はより美しくなっていき、人は奴隷としてではなく、ゲームとして人生に関わることができます。

「そのようにして私たちはもうひとつの文化を手に入れます。」 ― L. ロン ハバード

1953年も終わりに差しかかる頃、フィラデルフィアで開催された「第1回ダイアネティックス実践者とサイエントロジストの国際会議」が大成功を収めたことを受けて(サイエントロジーのある刊行物によれば「とびきり素晴らしい成功」でした)、アメリカ合衆国西部在住のサイエントロジストは、彼らの地元での会議開催を強く求めるようになりました。カリフォルニア州ロサンゼルスとアリゾナ州フェニックスが主な開催候補地でしたが、L. ロン ハバードはフェニックスに決定しました。サイエントロジー発祥の地であり、最初のハバード・サイエントロジスト協会がここに本部を構えてからすでに2年が経過していました。

こうして、1953年12月28日、フェニックスのリトル・シアターで、ハバード氏は後にも先にも類例のない会議を開催しました。というのも、「西部会議」は、新しい画期的発見に関する彼による発表、会議後のパーティーといった、やがて会議の伝統となるすべての要素を含む一方で、この会議を特に際立たせていたのは、データを伝える彼のやり方でした。具体的には、「サイエントロジー・ジャーナル」で次のように報告されています。「技術上のデータの発表はごく最小限に留められ、L. ロン ハバードは、グループに対するプロセスという形で、重要なテクニックと手順の大部分を発表したのです。」

さて、純粋にオーディティングの観点から見てもこれらのプロセスの効果 は圧倒的なもので、会議にいた何人もの参加者が慢性的なソマティックをブローさせ、セータ・クリアーを達成した人々もいました。しかし、リトル・シアターがブームの始まった場所としてその名を残した理由はそれだけではありません。グループにプロセスをすることにより、ハバード氏は会議参加者たちが自分の地元で人々にグループ・プロセスを与えるための模範を示したのです。その重点は「規範的な機能の手順8-C(SOP 8-C)」と『自己分析』のリストに置かれていました。彼らの仕事をさらに簡単にするために、彼はこの会議に先立って特別に15分のグループ・プロセスを録音しました。彼らが地元に戻り次第すぐに始められるように、その録音が彼らに提供されました。

さらに、華々しい趣向もありました。実に劇的に行われたアンカー・ポイントの処理の実演がそのひとつです。彼は自分の身体をマイクの前の全く同じスポットに保持したまま、自分のアンカー・ポイントをリトル・シアターの内部や外部の明確な特定の位置へと移動させながら話し続けたのです。声帯の使い方を変えないという条件による実演でした。しかし実際に、聴衆に対する彼の声の伝わり方が即座に変わったのです。これにより、グループ・プロセシングだけでなく生活にも適用できる、以下の基本的なデータが例証されました。

「可聴性は音波の問題ではさほどなく、存在性の問題だからです。あなたの声は、自分がいてもいいと思う空間でしか聞いてもらえません。聞いてもらえる空間というのは、それですべてなのです。わかりますか?」

ハバード氏はまた、新しい「オーディオ・メーター」(後の「ビープ・メーター」)も紹介しました。以前のどのモデルよりも優れた器具で、人間の痛みのスポットを記録できるプローブがあることが特長です。しかし彼は、このメーターの製造者さえ気付いていなかった用途をすでに発見していました。事実これは、ビーイングが意のままに別のビーイングの中でエネルギーの流れを生み出せるということを実演する手段となったのです。

「そこで私は彼のメーターを使い、彼の頬の反応の鈍いところをすべて彼に教え、全く反応しないところを見付け、座ってそれを反応させました。それは反応し、メーターは『ポンッ』となりました。」

まとめると、これは技術的なデータを満載した会議であり、そのすべてはこのひとつの目的に向けられていました。すなわち、これらの画期的躍進を幅広く一般の人たちに伝えていく、トレーニングされたサイエントロジストの勢力を拡張させることです。そしてまさにその通りになり、劇的な結果をもたらしたのです。会議の成果はアメリカ合衆国中に伝わり、そこでの一連の講演とグループ・プロセシング・セッションが他の人々が開催する会議で上演され、即座にケースの向上が生み出され、新しいフィールド・グループが続々と誕生しました。実際、この「西部会議」は「第3回アメリカ上級臨床コース」の前触れとなるだけではなく、類まれな成功を収めた「宇宙のプロセス会議」にもつながったのです。同会議は、ハバード氏によって同じ場所で開催され、アメリカ合衆国一円、さらに海外から200人以上のサイエントロジストが参加しました。

こうして、1953年の終わりに、歴史に残る1954年の進展に向けてすべてが整えられました。そこでL. ロン ハバードは、かつては選ばれた少数にしか達成できないと考えられていた存在性の状態を、大規模に達成できるプロセスを発表することになるのです。