第1回メルボルンACC
Responsibility and the State of OT
彼は大規模な会議において、オーストラリアのサイエントロジストに向けて、彼ら独自のサイエントロジーに対する責任について、特別なメッセージを伝えました。それに続き、彼は第1回メルボルンACCで一層重大なものを展開しました。クリアーへの複数のルートが記されたことで、彼は「機能しているセイタン」というより高いゴールへと戻りました。彼はその潜在能力を「フィラデルフィア博士号コース」と『サイエントロジー 8-8008』において明示していました。その後のさまざまな発見に基づいて、彼はOTへの道を塞いでいた…実際、あらゆるケースの向上を塞いでいた第一の障害を発見しました。のみならず、オバートと ウィズホールドの技術でその障害を打ち砕くことによって、誰もがケースの進歩の核心、すなわち「責任」の状態に至ることが可能になったのです。OTへの道筋、それがベイランスの移行に懸かっていること、孤立化の構造とその解決、ウィズホールドと「バンクのない」状態による強い欲求との関係、セイタンの宇宙など、ここにある技術は、すべてのビーイングが精神的自由のレベル、究極的にはOTそのもののレベルへと昇っていくための扉を開くものでした。これらの発見によってもたらされるものについて、ロンはこう述べました。「第1回メルボルンACCで、私たちはサイエントロジーの新時代を始めます。私たちがこれまで経験してきた何よりも大きく、広範で、成功している時代です。」
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「とにかく全力を尽くしてオーディティングしなさい!PCの言うことが聞き取れないなら、自分の耳をPCの顔に近付けなさい!PCがブローしようとしているように見えたり、とても落ち着きがないように見えるなら、彼を椅子に押さえ付けなさい!彼があなたの言うことをあまり聞いていると思えなければ、腕を使って固いコム・ラインをつくってあげなさい。.
でも、あなたはオーディターなんです。したがって、あなたは取るに足らない人ではありません。したがって、ケースに関するあなたの興味が最も重要なのです。そして、それが第一の最優先事項であり、最も重要なことであり、あなたはオーディティングすることによって、大抵のオーディティングを完了させるのです。わかりますか?」― L. ロン ハバード
1959年9月、ソビエト連邦の首相ニキータ・フルシチョフは合衆国にいました。ふたつの「大国」間の緊張は一見和らいだ様相を見せ、そこで合衆国大統領アイゼンハワーとの会合が開かれたにもかかわらず、ロシアの指導者は核戦争の可能性について、無愛想に残忍な調子で演説を行い、アメリカの主催者たちをぞっとさせました。実際、それは人々の心や文化に大きく影を落とす脅威となり、映画「渚にて(On the beach)」でドラマ化されることとなりました。これは、第三次世界大戦によって荒廃した地球を描いたものでした。
しかし、この映画で描かれているように、一時的であったとはいえ、世界には全滅を免れた土地がひとつありました…オーストラリアです。L. ロン ハバードが南半球は唯一核戦争で生き残る可能性のある地域であると語った時、オーストラリアに最も注意が向けられました。ただし、オーストラリアが自給自足できる、という条件のもとにです。というのも、そういった戦争は、ほとんどが北半球で起こる可能性があったからです。それ以上に、その国ではサイエントロジストの活動地域が繁栄して素早い拡張を続け、HASIオーストラリアは彼らの雑誌、コミュニケーション誌で「恐らくオーストラリアは、最初の純サイエントロジー文化を生み出すだろう」という予測すらしていました。
1959年11月初めに、ハバード氏はイギリスを後にして、カルカッタに立ち寄った後、11月5日にメルボルンに降り立ち、オーストラリアのサイエントロジストが世界全体に対して取るべき責任について伝えるために会議を開きました。そしてそれは、彼がオーストラリアで開いた最初の会議だったことを考えると、その結果は…地元の出版社の言葉を借りれば、激しく熱狂した何百人ものサイエントロジストとその仲間の前で開かれた「巨大な会議」となったのです。
しかしまた、彼はオーストラリアのサイエントロジストに対して、この惑星上のすべてのビーイングの未来にとって、彼らが非常に重要であるという特別なメッセージを伝えました。それは彼が、彼らに提供しようとしていたものの始まりにすぎませんでした。というのも、従来通り、彼はACCも予定していたからです。それは11月9日に、スプリング通り157番のHASIオーストラリア本部で始まりました。オーストラリアとニュージーランドから選ばれた40人のオーディターが参加しました。そして、このオーディターたちがすぐに発見したように、このACCが意味していたものは、全く新しい方向性でした。
「このコースの基本テキストは『サイエントロジー 8-8008』です。このコースに直接つながる、以前の講演で最初のものは、1952年秋の『フィラデルフィア講演』…64時間の講演でした。それがこのコースに直接つながる以前の講演です。ですから、ほら、私たちは時間の軌跡をひどく飛び越えましたね。わかりますか?」
ハバード氏が伝えたことと、1952年の「フィラデルフィア博士号コース」に戻ることの意味は「機能しているセイタン」というゴールに集約されていました。本来の状態におけるセイタンの潜在能力が特定され、明確に示された後、彼はそれに続く数年を、人間の現在の状態に段階を下げて対処し、すべてのケースにリーチするプロセスとすべてのオーディターが適用できる手順を開発することに費やしました。その結果、容易にクリアーの状態を達成できなかった大多数の人々、つまりOTの能力のリハビリには全く手が届かなかった人々に「クリアー」を確実に達成させることが最優先の目的になっていました。しかし、ここでいくつかのルートが調査されてまとめられ、それによってクリアーが日常的に確実に誕生するようになったことで、彼は、機能しているセイタンというより高いゴールへと戻ることができたのです。実際、彼はOTへの道を塞いでいた(もっとはっきり言えば、あらゆるケースの向上を塞いでいた)第一の障害を発見したのです。その重要性について、彼は次のように述べています。
「さて、あなたは、ある定義に照らしてプロセスしているのです。その定義とは、『人生、物質、エネルギー、空間、時間に対して起因であることを厭わず、意識して起因であること』。もちろんそれには、ポスチュレート、コンシダレーション、セイタンが含まれます。そして、それがOTの定義です。」
実際、ハバード氏が生徒たちに言ったように、OTへのルートは、「責任」を通じてのみ進んでいきます。この「第1回メルボルン上級臨床コース」では、彼はケースの進歩そのものの核心に至る重要な技術を説明しました。具体的には、「オバートとウィズホールド」の技術です。
- ベイランスの移行:OTへの道筋はベイランスの移行に懸かっているということについて。
- 弱いベイランスのルール:それは何なのか、なぜそれを処理しなくてはならないのか、またその方法。
- 孤立化:その源、それを解決する上でコミュニケーションが果たす役割。
- 判断:相対的な重要性を評価する能力。どうして自由はその能力に懸かっているのか。
- 結果のないポスチュレートをする能力:この能力がOTのリハビリテーションとどう関係するのか。
- 悪い経験:それはどうしてモティベーターではなくオバートによって消去するのか。
- 軌跡上の主要な出来事:それらがどのようにリッジをつくるのか、またそれらの位置と処理法を含む完全な詳細。
- トーン・アーム:トーン・アームを下げて、メーターでのクリアー・リードをもたらす方法。
すべてをまとめると、彼が提供した技術は、あらゆるタイプのオーディティングを包含し、あらゆるレベルでケースの向上の基礎を成すだけでなく、すべてのビーイングがますます高いレベルの精神的自由へ向かっていく際に立ちはだかる、本当の障害を打ち砕くものでした。ゆえに、こうしたすべてが意味したものを仮定してみると、L. ロン ハバードはその後、全く新しい地球へとつながる、全く新しい視点について語ることになるのです。