セータ・クリアー会議

セータ・クリアー会議

ある実験が世界中を釘付けにしました。2.5メートルのトマトの木とスイカ大のきゅうりが世界的な大ニュースとなったのです。しかし、これらの新聞が知っていたことは、L. ロン ハバードの温室での実験にまつわる壮大な伝説の半分にさえも満たないものでした。そして人生そのものに関する大発見を知ることもなかったのです。「生存」と「屈服」に関する基本的なポスチュレートがどのように人生で相互作用し、その結果「犠牲者」と呼ばれるゲームとなるか。その大発見をきっかけに、ビーイングが持つ「自己破壊」というポスチュレートの根本的な理由を明らかにするさらなる発見とその解決策が続きました。それは軌跡にある核となる逸脱を一掃するコミュニケーション・プロセスです。さらにここでは、ひとりのオーディターが一度に数百人、あるいは数千人のプリクリアーでさえも処理するのを可能にする、新しい種類のオーディティングの発表によって、技術の適用が非常に大規模に起こったのです。それは広範囲に及ぶクリアリングと惑星規模の救済に対する手段でした。しかし、これらの進歩の大きさにもかかわらず、それらを支えるものは遥かに大きなものだったのです。というのも、これは歴史に残る会議であり、ここで初めてハバード氏はサイエントロジーで最も有名な住所、つまり「英国、サセックス州イースト・グリンステッド、セントヒル荘」を手に入れたことを発表したからです。

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ある実験が世界中を釘付けにしました。2.5メートルのトマトの木とスイカ大のきゅうりが世界的な大ニュースとなったのです。しかし、これらの新聞が知っていたことは、L. ロン ハバードの温室での実験にまつわる壮大な伝説の半分にさえも満たないものでした。そして人生そのものに関する大発見を知ることもなかったのです。「生存」と「屈服」に関する基本的なポスチュレートがどのように人生で相互作用し、その結果「犠牲者」と呼ばれるゲームとなるか。その大発見をきっかけに、ビーイングが持つ「自己破壊」というポスチュレートの根本的な理由を明らかにするさらなる発見とその解決策が続きました。それは軌跡にある核となる逸脱を一掃するコミュニケーション・プロセスです。さらにここでは、ひとりのオーディターが一度に数百人、あるいは数千人のプリクリアーでさえも処理するのを可能にする、新しい種類のオーディティングの発表によって、技術の適用が非常に大規模に起こったのです。それは広範囲に及ぶクリアリングと惑星規模の救済に対する手段でした。しかし、これらの進歩の大きさにもかかわらず、それらを支えるものは遥かに大きなものだったのです。というのも、これは歴史に残る会議であり、ここで初めてハバード氏はサイエントロジーで最も有名な住所、つまり「英国、サセックス州イースト・グリンステッド、セントヒル荘」を手に入れたことを発表したからです。

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6

詳しい情報 セータ・クリアー会議

「生き続けるために人は、自分に後退りを強いているミステリーを見抜く必要があります。そしてそういったミステリーのうち最大のものとは、『私は生存するべきか? それとも屈服するべきか?』です。」― L. ロン ハバード

ゴールですか? クリアリングです。たったひとりではなく、何百人も、何千人も ― 同時にです。

時は1959年。ダイアネティックスとサイエントロジーという主題はすでに10年目を迎えていましたが、L. ロン ハバードは完全に新しい時代に乗り出していました…サイエントロ ジーのイメージそのものを永遠に変える時代です。

技術の発展は、ハバード氏が1950年以降求めてきた段階に完全に達していました。彼以外のオーディターによるクリアリングが現実のものとなったのです。その結果、彼は今やそれを広範囲に実行する手段に専念できるようになりました。しかし、彼が1959年春の記事「クリアリングという主題」で述べているように、それは新しいゴールではありませんでした。

「1950年に他のオーディターたちがこれを達成できないとわかった時、私は以下の事柄を完全に引き受けました。

1. クリアリングに関わるすべての現象を研究すること。

2. オーディターたちがこの仕事をするようにトレーニングする方法を研究すること。

3. オーディター全般が、あらゆる種類のケースに対し、広範囲にわたって本来の状態を達成すること。」

まず、技術が非常に精確な実用性…実際、新しい高みにまで進歩していることを示すものとして、1959年4月、彼は「ハバード・プロフェッショナル・オー ディター・コース特別講演」を提供しました。新しい「プロフェッショナル・オーディター・コース」の主要なカリキュラムとなるものです。これらの講演は、ハバード氏が 「基本中の基本」と表現するほど包括的なものでした。オーディターの技術がすでに安定したものになっていたという事実を示すように、これらの講演は今日もオーディター・トレーニングの基本コースとして存在しているのです。

それが恒久的に記録されたこと以上に重要なこととして、彼は新しい「プロフェッショナル・オーディター・コース」を、まさにその時点で必要としていたのです。当時彼が計画していたもうひとつのことのために、オーディターたちを速やかにトレーニングするためでした。つまり、上記の3番目のターゲット…「オーディターたち全般による、あらゆる種類のケースに対する広範な」クリアリングです。

実際、広範なクリアリングを実行するには、それが必要でした。純粋に数だけ考えても、彼がどれほど多くのオーディターをトレーニングしても、すべての人を個別にクリアーにしなければならないとしたら、どれほど急いでも間に合わないでしょう。ハバード氏が求めていたものは、すべてのビーイングが利用できるような「簡単で、素早く、費用のかからない」クリアリングの方法でした。

解決策は、ふたりのオーディターが互いにオーディティングし合うチームを組む「相互オーディティング」でした。相互オーディティングは何年も前からありましたが、彼は全く別のものを発表しようとしていたのです。というのも、それまでの相互オーディティングは、トレーニングを積んだオーディターがチームを組むものでした。しかし、プロのオーディターのレベルまでトレーニングしてからでなければ他人をオーディティングできないというのでは、問題は何も解決しません。

解決策は? ハバード氏は、新しいオーディターのための全く異なった種類の相互オーディティングを開発し、それを「口枷をしたオーディティング」と名付けました。というのも、オーディターがしてもよい行為はごく最小限であるため、ほとんどトレーニングを要さないものだからです。しかし、それはここでの方程式の半分でしかありません。

次に彼は、オーディターたちを「第6回ロンドン上級臨床コース」に呼び集め、彼らが初めて耳にするものを披露しました。ひとりのオーディターが一度に何百、何千人をプロセスする手段です。それは大勢の人がいる部屋全体に向けて指示を出すグループ・プロセシングではありません。そうではなく、ほとんどトレーニングしていない相互オーディターたち(数に制限はない)を、事実上、ひとりのトレーニングされたオーディターがオーディティングするのです。実は、これは最も初期に開発されたプロセシングのひとつでした。彼は第6回ロンドンACCのオーディターたちに次のように述べています。

「では、これは何なんでしょう?これは何なのでしょうか?あなたはこれが新しいものだと考えますね。えぇ、えぇ、その技術的な点において非常に新しく、またその効果という点において驚くほど新しいものです。しかし、アイデアとしては新しいものではありませんなぜなら、これこそ私が1946年、47年、48年、49年に大量のオーディティング時間を上げていた方法だからです。

さて、ですから、ひとりのオーディターがたくさんのチームに対処するというアイデアは、とても古いものです。しかし、今日それを行う方法は、とても新しいものなのです。」

確かに、それは非常に「新しい方法」であり、この時期の調査における伝説的な最終要素に大きく関わるものでした。というのも、ハバード氏はロンドンでオーディターたちを自らトレーニングしながら、全く別の調査も行っていたからです。一般のサイエントロジストたちがそのことを全く知らなかったとしても、彼は自らの温室での実験によって園芸界の注目の的になり、驚くべき成果を生み出していました…6メートルのトマトの木とスイカ大のきゅうりです。間もなく報道機関は「ハバード博士の原子力時代の研究室」という大見出しを付け、一方で「すべての園芸家にとって計り知れない重要性を持つ発見」などと形容しましたが、結局、その新聞記者たちはそこで起きていたことの半分も気付いていなかったのです。

実際、これは遥かに深い次元に踏み込む調査であり、その影響も広範に及ぶものでした。そうして明らかになったのは「生存」と「屈服」に関する基本的なポスチュレートと、人が犠牲者となる過程でした。ここから、なぜ生命は屈服するのかという仕組みだけでなく、大規模なクリアリングを開始するさまざまなプロセスが 生まれたのです。

それでさえ始まりにすぎませんでした。というのも、彼はすでに、やがて地球規模で成長することになる別のものを用意していたからです。それについてここまで触れてこなかったのは、彼がそうすることを望んでいたからにすぎません。

1959年7月4日、ワシントンのショアハム・ホテル。未知のものへの期待に満ちた人々の大喝采が響く中、照明が落とされると、L. ロン ハバードの不朽の言葉とともに、1枚の写真がスクリーン上に投影されました。「これがセントヒルです。」